浅草南部コースのご案内

江戸の中心部と浅草寺の中間に位置したこの地域は、商人や職人の住まいと大名や旗本の屋敷が混在していたところです。

江戸36見附(城門のある場所)の一つ「浅草見附」がこのコースのスタートです。
江戸時代 奥州街道、日光街道を旅する人は、浅草見附(の門)を通りました。現在の「浅草橋」です。また、ここは浅草寺の参道の入り口でもあり、道の両側には人形や玩具を売る店が並んでいました。

かつての花街の柳橋、全国の幕府天領から集めた米の蔵があった蔵前など、ぶらりと江戸のなごりを尋ね歩きませんか。


浅草見附
江戸36見附の一つ。浅草寺の参道の入り口でもありました。神田川に架かる浅草橋を渡ります。
柳橋
神田川が隅田川にそそぐ手前の橋です。付近はかつての花街。川には屋形船が浮かんでいます。
榊神社
日本武尊が東征のとき創祀されたと伝わっています。もとは鳥越神社の場所でしたが、江戸時代、埋め立てのため鳥越の山を削る際、蔵前に移りました。
首尾の松
諸説ありますが、船で吉原に行き、帰るときその「首尾」を語ったという説が話としては面白い。隅田川の船からは目印になる松でした。
浅草御蔵跡碑
幕府が天領から集めた米を保管した倉庫群。御蔵(おくら)といい、御蔵前が「蔵前」の地名になりました。
西福寺
江戸中期の浮世絵師 勝川春章や、家康の側室の墓があります。
天文台跡
江戸時代後期に造られた。伊能忠敬やその師匠・高橋至時(よしとき)等がここで天体観測を行っていました。
鳥越神社
奥州鎮定のとき、源頼義が 鳥が越えた所を浅瀬と知り無事 隅田川を渡ったことから名付けられました。千貫神輿と「どんど焼き」で有名。
おかず横丁
正式には「鳥越本通商盛会」です。230mの通りに60軒余りの店があります。
蓬莱園跡
肥前の平戸藩松浦家の屋敷にあった庭園。名庭園と評判でしたが関東大震災(1923年)で被害を受け、取り壊されました。
越前福井松平藩邸跡
越前福井藩の屋敷があったところ。その後、移転し跡地は町方の住居となりました。

ほかに、浅草寺Aコース浅草寺Bコース浅草中部コースなども参考にしてください。