正岡子規コースのご案内

JR鶯谷駅は根岸への最寄り駅です。駅名は、正岡子規の句 『雀より 鶯多き 根岸かな』(明治26年)にあるように、往時は『根岸の里の侘び住まい』 ともいわれ、風雅な場所でした。 明治期には、正岡子規、中村不折、森鴎外、夏目漱石、等々・・・まさに綺羅星のごとく多くの文学者・画家が住み、集い、語り合い、日本の近代文学・芸術を支え、発展の礎を築いてきました。正岡子規の句碑をはじめとして、彼を支えた人々の旧宅跡など明治期の根岸に思いを馳せながら子規の足跡をたどります。
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根岸子規庵
(有料)
子規の終焉の家です。昭和25年に再建されました。
書道博物館
(有料)
洋画家であり書家でもあった中村不折によって開館された博物館。
不折の作品、収集の古美術品などを展示。
笹の雪
創業は元禄時代、江戸で初めて絹ごし豆富を提供した店。ここの豆富を手土産に子規はどこへ行ったのでしょう。店先には子規の自筆の句碑があります。
八二神社
明治初期加賀前田家の本邸があった場所。小さな社の扉には前田家の梅鉢紋があります。前田家の用人長屋だった所が子規庵です。
元三島神社句碑
子規の句碑「木槿咲いて 繪師の家問ふ 三嶋前」子規は誰を訪ねたのでしょうか。
陸奥宗光旧邸
陸奥宗光が出獄後3年半住んだ家で都内最古の住宅用洋館です。外交官であった子規の叔父加藤拓川と陸奥との関係は・・・
西蔵院
根岸小学校発祥の地。根岸に本邸を構えた前田家が「新参者の挨拶料」として学校建設費用を寄付。西蔵院は、池波正太郎・鬼平犯科帳『雲龍剣』に登場する寺。
御行の松句碑
初代の松は高さ13mの大松だったとか。その大松を詠んだ子規の句碑があります。現在の松は3代目、及び4代目。
真源寺
(入谷鬼子母神)
子規の親友、夏目漱石の大学卒業を祝して詠んだ自筆の句碑があります。
7月の朝顔市で有名です。
芋坂
善性寺から谷中墓地に登る坂。団子が有名で、子規の句に詠まれています。
また、漱石の『吾輩は猫である』にも登場します。